崇日記       (旅と暮らしの備忘録)-090718_2030161.jpg
土曜日は花火を見に行ってきました。

一昨年、昨年と雨模様の中での見物で遺憾でしたが、
今年は見事に晴れ会場の多摩川河川敷も大混雑。

明るいうちから席をとってくれていたメンバーと合流。
缶ビールをグイッと飲み干しながらハイテンションな一夜でした。。
春先まで吾輩の住んでいた町は、東京、新宿や恵比寿果ては横浜に逗子、小田原まで乗り換え無しと交通至便。しかも物価がやすく映画以外大概の用事を徒歩圏内で済ませられ住環境としては好適のくせに何故かマイナーな存在。

そんな町ですが、千円札で酒を呑むにはこれほどよい町もなかなかありません。

しかも朝から。

メディアファクトリー社より本日、千円で酔える都内の店を集めた本が発売となったようです。

担当編集にゼミの後輩がおります。
酒をよく呑む後輩でしたから、内容は期待できそうですね。
職場の暑気払いでビアガーデンにいきました。

昼の熱気がやや和らぎ、
涼しい風に吹かれつつ、
ビールと羊を目一杯腹におさめました。

繁華街の夜景が綺麗でした。

リフレッシュして暑い夏を乗り切りたいところです。
アスファルトからの反射熱がジリジリと身体にこたえる天気です。

午前中は新宿と半蔵門を飛び込み営業しました。

Y先輩のお店の前を通り掛かりました。

それにしても英国大使館は重厚な雰囲気です。

午後は港区で営業活動。
夜は数寄屋橋のビアガーデンで暑気払い。

梅雨明けの日にピッタリのイベントです。

本日は明治の太政官暦でいうお盆の初日です。

彼岸から父方の祖父母の霊を実家に迎える日となりました。

祖父は大正の世に葉山に生まれ、鐵道学校を卒業後、通信兵として徴兵され大陸へ出征、
復員後に国鉄の運転士となり、退職後吾輩が九歳のとき病を得、昭和末年に急逝。
資本論を独学したマルクスボーイで、山と遺跡巡りが趣味のヘビースモーカーでした。

祖母も大正末年に生まれ、空襲を生き延び、呼吸器の難病を患いながら家業の工務店を切り盛りし、廃業後も働きに働いて、吾輩が新社会人となった年に、これ以上ないほどに痩せ細った体から離たれて彼岸の人となりました。
元気な頃は余暇に三味線と踊りを楽しんだ、賑やかな場所と祭が好きな人物でした。

彼等なくして父はなく、従って吾輩もありません。

合掌。

さて二十日海の日は母方の祖父の命日です。
そちらのお盆は維新前から暦に基づき、8月。
祖母は今も元気に畑にでてをり、美味い野菜を育てています。

長生きをしてもらいたいものです。

崇日記       (旅と暮らしの備忘録)-090708_1208531.jpg
日替わりちゃんこです。

このチェーン店の土浦にて過去K君、F君と仕事の悩みなど語りながら食事したことを思い出しました。

20代前半のことがかなり昔に思えます。

そういえば前職の新人研修も、本日立ち寄った店の近くでした。

たまにおやつにしていた鯛焼き屋さんも相変わらず繁盛していました。

それにしても飛び込み営業のヒット率の向上にむけて悩みが湧きます。
本日、太政官の暦の七夕です。

外回りしていると、先週から都内各所に笹竹に短冊を括り付ける場所が散見されました。

野暮なこととは思いながら、いくつかサンプリングしてみたところ、子供に限らずサラリーマンらしき人の願い事もありました。

願い事を括り付ける風習が普及したのはいつからなのかわかりませぬが、吾輩がものごころついたときには既に恒例のイベントでした。

その量たるや東京都下の人口を考えるとなかなかに毎年膨大なものであろうと思われます。

そしてそのすべてが叶うとしたら、日本はきっと不滅の好景気になるでしょう(笑)

ちなみに吾輩はというと…、五十年先まで生きていると仮定して、某所に短冊を納めてまいりました。

その頃日本は、そして吾輩はどうなっていることやら。
見届けるには五十年品質保証の人生が必須です(笑)
今週は長かった…

高原から下界に戻って下がってしまったテンションがもとに戻らず、
夜更けまでの作業に体力を消耗。

適切なる気分転換がなければかなり危ない平日でした。

今日はさすがに早く上がらせていただきます。(謝)
只今午前2時45分。

工場での作業が迅速に進み、
予想より3時間ばかり早く終了見込…

タクシー分乗で帰宅しますが、いかほどかかりますやら(苦笑)

当初の予定は翌日(もはや今日)に延期が叶いましたが、一先ず御報告を兼ね深い陳謝の意を表明致します。
只今午後10時。

これから工場に緊急応援であります。

朝まで作業だとか。
遺憾の極みです。

予定がすべてパア。(泣)