司馬遼太郎原作の連続ドラマ「坂の上の雲」の第一回放送が日曜日に迫っています。

作者司馬氏が生前があくまでも実写化を拒みつづけ、しかし一方で読者にそれが渇望された作品。
どんな内容か非常に楽しみです。

ドラマ化は起想から難産に難産を重ねたそうです。

故人の遺志を受けた遺族の説得からして道程は遥かだったろうことを思うと、
よく放送までたどり着いたものだと思います。
制作者の熱意が滲み出る仕上がりと期待。

「坂の上の雲」に関しては賛否諸説あります。
戦史という微細に渡るデータに限りなく拘束される中、創作をはさむ余地は僅か。

しかし、「坂の上の雲」はあくまでも史実をモチーフにした小説。

作者の知名度、内容の完成度から無謬のように思われがちなこの作品、
見る人の陥りがちないくつかのポイントを、
ドラマではどのように表現し、そして受け手はどのように解釈するか。

とくと見極めるチャンスです。

そんなドラマを拝めるなんて、素晴らしい時代に生きていてラッキーです。
離婚が成立してちょうど2ヶ月が経ちました。

4月頭から話を切り出し、調停を重ねること4ヶ月のことでした。

我が儘を押し通して、それまでの生活や人間関係を壊しました。
今後弱音を吐きたくなるようなことがあっても、
逃げ場はないと腹を据えていました。

改めて思うに、自分は重要な決断をする時にも、人の意見に傾けるべき耳を自ら塞いでしまう一面がありました。

結婚の前も、「お前にはまだ早いんじゃないのか?」という両親からの懸念の言葉を遮り、行動に出た経緯があります。

独善と思い込みを排するべく試行錯誤と軌道修正の日々が続きます。

誰もが当たり前に身につけているはず習慣を、これまで欠落させていた報いです。

まったく恥じ入ります。

人を幸せにできるようになりたい。
崇日記       (旅と暮らしの備忘録)-090922_0733451.jpg
おはようございます。

夜半より降り出した小雨が煉瓦の町を濡らしています。

ホテルの桟橋から下を覗くと、鯔や河豚、海月がゆるゆると泳いでをり、
水質が綺麗なことに感動します。
大村湾の干満を利用し、常に運河を循環させる設計は見事と言うほかありません。

ここハウステンボスはかつて、典型的な環境破壊型工業用地開発にさらされかけた区域でした。
それが景気循環の影響から中断、やがて観光地として再開発された経緯があります。

環境保護が声高に叫ばれ始めた時代の暁に、その思想の具現者としてハウステンボスは生まれたわけです。
生態系への影響を最小限にとどめ、且つ多くの客を集める町を創る。
その主題を守りながらの開発は並々ならぬ努力と費用を要したはずです。

コンクリート護岸は一切ありません。
波打際から路面の舗装など、この町の細部に至るまでが石垣と煉瓦でできてきます。

町を形作った設計者と施工者のこだわり、何より再開発に莫大な予算を投入した地元の覚悟が、今もこの町をして他のテーマパークの下卑た安っぽさとは一線を画さしめています。

こんな場所、他に日本のどこを探してもありません。

吾が輩は大学一年以来の再訪となりましたが、やはりハウステンボスが好きです。

町の維持には金がかかります。
実際、ハウステンボスも経営再建中です。
ホテルのサービスも斜陽感が否めない部分が見られました。
しかしこの町には潰れてほしくない。
ただのテーマパークではないここの魅力が広く認知され、沢山のリピーターが支える社会になってくれたら、と思います。
深夜残業あがりのタクシーよりおはようございます。

本日(昨日?)はまことに遺憾なことがありました。

弊社は日付を跨ぐ時刻になりますと、守衛さんが各フロアーにて巡回点呼をするという決まりなのですが…

例によって同僚と二人で打ち合わせに没頭中、定刻を迎え、

守衛「点呼の時刻です!ええっと、あなた、お名前は?」
同僚「Tです。」
守衛「え~っと、Tさん…Tさん居残り…と。はい、わかりました。ではご苦労様です!」(と帳簿つけつつ立ち去ろうとする)
吾が輩「…え?ええ!?私は?私の名前を聞いてはくれないのですか?」
守衛「だって、Sさんでしょ?大丈夫ですよ。帳簿にはもうさっき書いちゃったから。」

………
……


顔パスかいな(沈)


そんな今週は新しいお仕事の立ち上げ準備と納期対応により連日残念な帰宅経路を辿ってをります。


ちなみに正門前からタクシー拾おうとして二台にスルーされました。
直行先へ向かう電車からしつれいします。

今朝、ニュースを見ていたら緊急地震速報が流れました。

リアルタイムで目にしたのは初めてです。
強い揺れが到達するのはいつか、と身構えました。

幸いにして揺れを感じることはありませんでしたが、さすがに緊張感がありました。

結局のところ「オオカミ」が来なかったのは良いとして、
あとは速報の精度があがることを期待したいのと同時に、速報に対して自分が鈍くならぬよう意識することが必要だと感じました。

近頃慶大俳句の先輩G雷さんからの情報で地震への警戒心が高まっております。

都心部で営業中は、落下物や倒壊物をなるべく予想して、行動しませう。
昭和20年より毎年ここ日本に来る終戦の日。

戦の終わりを、ノイズの多いラジオが告げているなか、
この日、吾が輩の身近な人々は何をしていたか。

父方の祖父は中国で原隊と共に行動中。
復員後、大陸で何を見たかは口を噤んだままでした。
母方の祖父は茨城にて召集令状を受け新兵訓練中でした。
水戸の空襲で犠牲となった市民の屍を片付けたこと、教官の鉄拳制裁のことを生前語り草にしていました。

南方戦線で戦死したり、シベリア抑留中に死んだ遠戚もいます。
生き残ることが危ういという中で祖父はそれぞれよく祖母と出会い、
両親を生んでくれたものだと思います。

孫世代の吾が輩にとって決して遠い昔の話ではありません。

旅行中だろうが仕事中だろうが、その手を止めて
8月15日正午は謹んで黙祷することにしております。

六十四回目八月十五日 山宗
今回の衆院解散総選挙には吾輩、恥ずかしながら有権者人生で初めて特別なる思いを抱いてをります。

仕事絡みの事情から政党、候補者の主張をポツポツと調べはじめましたが、
国政選挙は今後の我々の生活の行方に直接的な意思表示をする最大にして最重要な機会と痛感しました。
特に今回の選挙はそうです。
今まで吾輩、漫然と投票に行く姿勢でしたが反省しきりです。

日本の有権者の選択は如何に。
投票率は如何に。

この夏注目の総選挙近し。
自分の意志を反映させるべく投票に行きます。
異様に眠気がでてきました。

二手先三手先の予測と対応のシミュレーションに
今日は頭を使ってます。
(導かれる結果が自分にとり良い悪いは別にして)

的外れな考えが湯水の如く湧くのが常なのですが、
何故か今日はさほどに間違った見解がでず、
ある意味効率的な思考で終始一貫。

が、しかし、

それを説明したり実行していたら冒頭の記載の如く眠気(苦笑)

なんだこりゃ。
普段どんだけダラダラ無駄な時間使っていたんだろうか。
と。

頭をつかうと眠くなる。
逆に言うと吾輩今まで頭使ってなかったのですね。
愕然。
連休中身体を冷やしたせいか、各種臓器の活動が沈滞した感が否めません。

休暇明けて本日出勤し、溜まっていた業務に手を付けてはいるものの、
なかなかテンションが上がらず遺憾です。

下期計画などの資料づくりにも厳しい観測を盛り込まねばならず、この夏は様々に乗り越えるべき課題があります。
うーむ。

持ち込んだ弁当食べて午後の営業活動に備えます。
これだけが今日の楽しみ 。